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【伊豆ぶらり歴史探訪】フジ天城ゴルフ倶楽部周辺の歴女が喜ぶおはなし

フジ天城ゴルフ倶楽部は伊豆半島の根元付近に位置しますが、伊豆半島の成り立ちについては以前にこのコラムでも紹介しました。

【ゴルフだけじゃない!】ジオパークや登山も楽しめる伊豆半島の魅力|フジ天城コラム

今回は、太古の歴史ではなく歴女も喜ぶ日本の戦乱時代を取り上げ、フジ天城がある地域での勢力図について取り上げます。

家康が住んでいた駿府城

戦国時代の静岡と言えば徳川家康が居城していた駿府城が有名です。現在は駿府城公園となっており、1635年に城下の火災が原因で大半が焼失、現在の駿府城公園では3つの施設があり、駿府城の歴史を楽しむ事が出来ます。


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駿府城を拠点としていた家康は、関ヶ原の戦いを制して征夷大将軍となり江戸に上りますが、将軍職を三男の秀忠に譲り、大御所政治の拠点として再び駿府城に戻ります。

大御所として実権を握る家康は、1616年に75歳でこの世を去るまで隠居の場として選んだのが駿府城でした。

出世城と呼ばれる浜松城

静岡には駿府城のほかに、300近くの城が存在していたようですが、現存している城で有名なのが出世城と呼ばれる浜松城です。

徳川家康は29歳から45歳までの17年間を浜松城で過ごし、近隣の甲斐国の武田勢と勢力争いをしていました。

その中でも有名な戦いが、現在の浜松市にある三方原町付近で戦われた三方ヶ原の戦いです。この戦いは織田・徳川連合軍と甲斐国の武田信玄率いる武田軍との一戦です。

当時の武田軍は、勢力図を伸ばすべく西に攻め込んでいました。標的としていた国は遠江国三河国美濃国で1572年に3国を同時に侵攻する西上作戦を開始します。

信玄率いる武田軍は総勢3万の大軍、そして対峙する徳川軍はたったの8,000と織田軍からの援軍が3,000と武田軍の半分以下でした。

遠江国の北部を制した武田軍が次に目標とするのは、家康の居城であった浜松城であると読んだ家康は、1万1千の兵とともに籠城します。

しかし、武田軍は浜松城を素通り、プライドを傷つけられた家康は背後から攻めれば勝機ありと、織田家の武将からの反対を押し切って出陣!

30歳と若い武将は武田軍が待ち構えていた三方ヶ原の台地でわずか2時間で大敗し、2000の兵と有力な家臣を失い、命からがら浜松城まで逃げ切りました。

140年ぶりに木造再建された掛川城

掛川市にある掛川城は、1994年に日本で初めて木造による天守の復元をした城で有名で、日本の100名城にも選ばれています。

また、豊臣秀吉の直臣であった山内一豊が入城して、大幅な拡張工事を実施したことでも世に知られています。


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既に終わってしまいましたが、掛川城公園・逆川沿いに約300本の桜があり、掛川桜として有名なスポットになっています。

函南ゴルフ倶楽部近くにある山中城跡

国の指定文化財である史跡に指定されているのが山中城跡です。山中城は三島市から芦ノ湖に向かう途中、函南ゴルフ倶楽部の近くにあります。


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標高580メートルの斜面に囲まれた自然の中に造られた山城で、城主を置かない城として築城されました。

小田原に本城があった北条氏によって築城された山中城は、小田原城にとっては西方防御の要の地であり軍事拠点となっていました。

戦国時代に関東一円を支配していた北条氏の本城である小田原城は、北条氏が5代約100年に渡り居城していました。北条氏は関東支配の中心拠点として小田原城を拡張整備し、日本最大の中世城郭となっていました。

静岡は戦国時代の重要拠点

北条氏は現在の伊豆の国市を拠点としていた豪族で、平安時代末期から鎌倉時代に掛けて本拠地となっていたのが、現在の韮山にある北条氏邸になります。

北条氏邸は発掘調査中で立ち入り禁止となっていましたが、今年の4月1日より一部が一般公開されるようになっています。

北条氏邸跡に隣接して、円成寺の遺跡がありますが、円成寺は鎌倉幕府時代に大きな影響力を持っていた北条氏ですが、鎌倉幕府が滅亡すると北条一族の妻や娘たちは鎌倉から韮山へ戻り、女性たちが中心となり北条氏の冥福を祈るために寺院を建てたのが尼寺である円成寺です。

伊豆の国市は2022年に大河ドラマの『鎌倉殿の13人』が放映されますが、ドラマの主人公となる北条義時は伊豆国(現在の伊豆の国市)の豪族であった北条時政の次男として生まれ、姉には鎌倉幕府を開いた源頼朝の妻となる政子がいます。

頼朝の側近として鎌倉幕府を陰で支えた北条義時が主人公となることから、伊豆の国市は北条邸跡の一部公開を決めたようです。

また、源頼朝は平治の乱で平清盛に敗れて約20年間、伊豆国の蛭ヶ小島に囚われの身となっていました。

蛭ヶ小島と言っても海に浮かぶ島ではなく水田の中にあった高地で蛭が多かったことから付いた名といわれています。


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現在、蛭ヶ小島の跡地には若き日の源頼朝北条政子の銅像があり、近くには茶屋がありますので昔ながらの懐かしいメニューの軽食を楽しむ事が出来ます。

NHKの大河ドラマつながりで紹介するのは、井伊谷城。2017年に放映された『おんな城主 直虎』主人公の直虎は女優の柴咲コウが熱演しましたが、直虎は徳川四天王の1人であり、国宝彦根城の初代城主の井伊直政を育てたとされています。

井伊谷城跡は現在の浜松市にあり、城山公園として一般公開されていますが、標高115メートルの小高い丘に城は位置していたことが確認できますが、余り見所もない寂しい場所となっています。

フジ天城ゴルフ場周辺は歴史ゆかりの地が多い

フジ天城ゴルフ倶楽部周辺は天皇との繋がりが深く、現在の伊豆の国を拠点としていた地方の在地豪族だった北条氏が、鎌倉幕府の創始者である源頼朝の妻に北条政子が迎えられてからより影響力を増しました。

北条氏は鎌倉幕府が終焉しても、室町幕府の創始者である足利尊氏の正室となった赤橋登子を筆頭に足利氏との婚姻関係を結ぶ事で影響力を保持していました。

室町時代の後半は、大名の勢力争いが激化し、日本各地で戦乱が起き、伊豆地区を含む関東地方は、京都にある室町幕府に従う勢力との対立が激しくなっていました。

当時の将軍足利義政は兄である政知を鎌倉に派遣しますが、戦乱が激化していて鎌倉に辿り着くことが出来ずに、伊豆韮山の堀越に御所を構えました。

堀越御所を居城としていた政知は堀越公方と呼ばれ伊豆を治めていましたが、政知死後に今川の軍勢を率いた北条早雲に攻め落とされます。

堀越御所を攻め落とした北条早雲は、伊豆国を制圧してその拠点を韮山の丘陵地にある山城の韮山城を整備して本城としました。その当時の韮山城の役割は、今川・武田軍の進出を防御する重要な城だったと言われています。

韮山城は北条氏滅亡後には、徳川家康の家臣である内藤信成の居城を最後に廃城となりました。現在の韮山城跡周辺は散策できますが、戦国時代の重要な城跡として調査・研究がされています。

フジ天城ゴルフ倶楽部の近くには、以前このコラムでも紹介した鮎の友釣り発祥として有名な狩野川がありますが、達磨山の麓から流れる柿木川は狩野川へ合流しています。

ゴルフだけではないフジ天城ゴルフ俱楽部周辺の伊豆観光スポット|フジ天城コラム

フジ天城ゴルフ倶楽部に隣接する柿木川沿いにあるのが、狩野城址です。


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狩野城が建造されたのが、今から900年ほど前の1100年頃と言われています。藤原鎌足の子孫で藤原為憲が平将門の追討を認められ、木工助に任命され工藤氏を名乗りました。

木工助とは、今で言う国土交通省の大臣でしょうか?!工藤氏は木工助の工と藤原氏の藤を合わせた氏と伝えられています。

そして、藤原為憲の孫で3代目の維景は伊豆国狩野に移り住み、狩野氏を名乗ったとされています。移り住んだ地がフジ天城ゴルフ場に近い本柿木周辺です。また維景の子である維職が田方郡伊東の地に住し伊東氏の祖となったとされます。

摂関政治で国を動かしていた藤原氏を始祖とする狩野氏ですが、その後も鎌倉幕府の創始者である源頼朝の父義朝の時代から源氏に仕えたことで業績を挙げ、北条早雲によって城を攻め落とされるまでの約400年間、伊豆一円を支配していました。

狩野城を明け渡した狩野氏一族はその後、北条早雲から小田原へ国替えさせられ移り住み北条氏に仕えます。そして北条氏を支える重要な一派となりますが、北条氏が滅亡すると共に武将としての狩野氏も姿を消します。

しかし、狩野景信が将軍足利義教に絵の才能を見出され、息子正信と共に京へ上り絵師として活躍し、狩野派をおこしました。


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室町幕府の御用絵師となった正信の後にも多くの名人を輩出し、江戸時代まで狩野派は日本画の画壇をリードし、近世以降も日本画家の多くが影響を受けているそうです。

修善寺湯ヶ島などフジ天城ゴルフ倶楽部の近隣は歴史を感じられる名所が多くありますので、ゴルフを楽しむ前後に散策などいかがでしょうか?!

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