マスターズは4大メジャーの中でも特別なトーナメント

マスターズウォッチャーとして長年マスターズを毎年観戦してきましたが、マスターズは他のメジャートーナメント以上にドラマが生まれやすい大会です。

毎年ドラマチックな展開となるオーガスタナショナルですが、最も多く取り上げられるのが最多勝利のジャック・ニクラス氏が最後のグリーンジャケットを手にした1986年大会です。


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18番グリーンサイドでパトロンから大合唱が起こった『ジャック・イズ・バック!』・46歳とピークを過ぎたジャック・ニクラス氏が6度目のグリーンジャケットを手にした瞬間です。

最終日は首位との差4打にてスタートしたニクラス選手。最終日最終組単独トップでスタートしたのは、後にグレグイヤーと言われるほど大活躍したオーストラリアのグレッグ・ノーマン選手。

ノーマン選手以外には、最終2位で終えたトム・カイト選手と既に2勝挙げていたセベ・バレステロス選手がニクラス選手と共に優勝争いに絡んでいました。

マスターズで1番ドラマが生まれるのがアーメンコーナーと呼ばれる11番から13番ホール。


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アーメンコーナー以降のバック9も14番はバンカーが1つもないミドルホールですが、グリーンが非常に難しいホールとなり、最終日に松山選手が、アドレナリンが出て飛びすぎて奥の池に入れてしまったロングホールの15番、松山選手を追い込んでいたサンダー・シャフレ選手がティショットを池に入れて万事休すとなったショートホールの16番があります。

1986年のマスターズでもアーメンコーナーではニクラス選手とバレステロス選手が争いに、終盤ではノーマン選手が14番から4連続バーディでニクラス選手に並ぶも、18番で2打目を観客の中に打ち込みボギーとして涙を呑む事となります。

1986年大会のニクラス選手は最終日のバック9で30を記録、2021年大会の松山英樹選手は3日目のバック9で30を記録するなど、ここでも松山英樹選手がオーガスタの女神に微笑まれる要素があったのでしょう。

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マスターズ悲劇のヒーロー

1986年では優勝に王手をかけたグレッグ・ノーマン選手ですが、この年の全英オープンでメジャー初制覇しています。

ノーマン選手のマスターズに対する想いと戦いぶりは、翌年の大会での映像がその悔しさを表しています。

1987年大会の最終日にトップと1打差で最終組の1つ前でスタートしたノーマン選手は、最終日にスコアを伸ばす事が出来ずにホールアウト。

同スコアでホールアウトしたマスターズ3度目の優勝を狙う、バレステロス選手と地元オーガスタ出身のラリー・マイズ選手との3つ巴のプレーオフに突入、プレーオフ最初のホールでバレステロス選手は脱落、ノーマン選手の悲劇はプレーオフ2ホール目の11番グリーンサイドで起こりました。

ノーマン選手のセカンドショットは僅かにグリーンに届かず、一方のマイズ選手は大きくショートして約40ヤード手前。ノーマン選手が圧倒的に有利と思われましたが、地元オーガスタのパトロンたちの思いが通じたのか、PGAツアー1勝の28歳に女神は微笑みました。

40ヤードからのアプローチはグリーン手前に落ちて2バウンドして下り傾斜のグリーンに乗ってから加速してピンに当たりカップイン!グリーンサイドにいたノーマン選手の信じられない様子が映像に映し出されました。

前年に優勝したのが帝王ニクラス選手でしたので、ノーマン選手がどれほどニクラス選手からグリーンジャケットを引き継ぎたかったか想像に難しくない出来事でした。

その後の2選手の明暗は多くの方がご存知と思いますが、ノーマン選手は『ホワイト・シャーク』と呼ばれ人気実力共にタイガー・ウッズ選手が現れるまではゴルフ界をリード、一方でマイズ選手はその後、PGAツアーで2勝と日本ツアーで3勝で終わっています。

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世界ランキング1位でも叶わないマスターズ優勝

グレッグ・ノーマン選手のマスターズの悲劇はその後、何度も訪れます。

1989年・90年とジャック・ニクラス氏に次いで連覇を達成したニック・ファルド選手の影で健闘むなしく優勝には手が届きませんでした。1989年は3日目・最終ラウンドに68・67と猛追しますが1打差で涙を呑みました。

オーガスタナショナルではスロースターターのノーマン選手は、1989年も初日・2日目がオーバーパーで後続からの追い上げとなりました。ノーマン選手は1,2日は目立たずに3日以降爆発するパターンが幾度もありました。それが人気にもなっていたわけですが・・・。

グレッグ・ノーマン選手の優勝を誰もが疑わなかったのが、1996年大会となります。

この年のノーマン選手はいつものマスターズとは違い、初日にスコア63で単独トップとなり、2日目スコア69、3日目スコア71で2位のニック・ファルド選手とは6打差で最終組で最終日スタートします。

1996年も人気のノーマン選手とは、対照的なマシーンのようなニック・ファルド選手に優勝を譲ります。

最終日はボギーが先行する苦しい展開となり、9番からの3連続ボギーで6打差の単独2位でスタートしたファルド選手に並ばれ、12番ではダブルボギーとトップを明け渡すと巻き返すことなく終わってしまいました。

ノーマン選手は1989年以降、世界中で勝利を重ねていました。1986年以降の世界ランキングでは歴代で2番目となる331週第1位を記録しています。1996年以降は選手としてのピークも過ぎ1997年にPGAツアーで2勝して、その後勝利はありません。

ノーマン選手のメジャー勝利は全英オープン2勝で終わりましたが、他のメジャーで2位が6回もあることから、運のない人気選手として語られます。

1995年には初日こそ、スコア73で43位タイスタートでしたが、残り3日間全てスコア68をマークして3位タイでフィニッシュでしたので、1996年こそはオーストラリアへオーストラリア人として初めてグリーンジャケットを持ち帰りたかったでしょう。

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グリーンジャケットは、オリンピックの金メダル

グレッグ・ノーマン選手の悲願が達成されるには長い月日が必要でした。

オーストラリアにグリーンジャケットを持ち帰るのは、2013年にアダム・スコット選手が外国人対決を制する事で達成されました。

2009年に勝利しているアルゼンチンのアンヘル・カブレラ選手と、日没が迫る雨の中でプレーオフ2ホールでの対決による勝利でした。スコット選手は勝利後のインタビューでグレッグ・ノーマン選手への感謝の言葉を綴っています。

国際招待試合であるマスターズですから、世界中から選手や各国のメディアがオーガスタナショナルに集まってきます。ある意味オリンピックと同じで国を背負って戦う意識が、どこか選手にはあるのではないでしょうか?!

1934年の初開催から今年で85回目となったマスターズですが、マスターズの優勝者ではアメリカ人が圧倒的に多いです。1961年に外国人選手として初めて優勝したゲーリー・プレーヤー選手以降で、他国の選手で優勝しているのは今回の松山英樹選手を含め23勝です。

複数回優勝もありますから、国で見ますと11カ国となります。イギリスはスコットランド、イングランド、ウェールズは外国からすると同じ国ですが、彼らは違うと認識していますのでそれぞれで1カ国としています。

松山英樹選手の優勝も過去にマスターズに出場した、中嶋常幸選手や丸山茂樹選手やメディアなどは、日本人がマスターズ初優勝したことを強調しているようにも聞こえました。


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それだけ、ゴルフトーナメントの中でも出場できる選手の間口が狭い事と、グリーンジャケットを国に持ち帰る意識が世界に浸透している特別なトーナメントである事には間違いないでしょう。ある意味オリンピックに似た感情が芽生えるゴルフトーナメントです。

今年の東京オリンピックでも松山英樹選手が金メダルを獲得すれば、ゴルフの人気に拍車がかかるのは間違いないでしょう。

松山英樹選手は14日に凱旋帰国しオンラインによる会見を行いましたが、マスターズ優勝直後で今はクラブを握りたくないと口にしていました。夢が叶ったわけですから心理として当然の事でしょう。

ゴルフ業界としては、マスターズでバーンアウトする事なくオリンピックで金メダルを獲得し、ゴルフが国民スポーツとして定着する事を願います!

松山英樹選手マスターズ優勝おめでとうございます。フジ天城では今後も松山選手の動向に注目して行きます!

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