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男子ゴルフ賞金ランクと歴代賞金王Part2(2000年代~現在)

日本国内男子ツアーの限界とスター選手の流出

日本国内の男子ツアーの衰退が始まったのが、ジャンボ尾崎選手が勝てなくなり、後継者であった丸山茂樹選手や田中秀道選手ら国内ツアーを盛り上げていた選手が、国内を離れアメリカPGAツアーに挑戦を始めだした頃からです。

Part2では、日本国内男子のツアーと対象にアメリカPGAツアーが右肩上がりに賞金額を上げていく背景などデータを元に紐解いて行きます。

男子ゴルフ賞金ランクと歴代賞金王Part1(1970年代~1990年代)|フジ天城コラム

1991年には43試合あった日本国内男子ツアーですが、1992年以降は年々減り続け、2000年には33試合、2002年には30試合を割り込み29試合まで減ってからは、30試合以上には未だに復活していません。

ただ、30試合を割り込んだ後も、賞金総額は大きく落ち込むことなく30億円以上はキープしており、1試合あたりの賞金総額が上がっていることを示すデータとなっています。2000年の試合数は33試合ですが、賞金総額が1億円以上の大会は22試合に上ります。

試合数が減っても、安定して上位に食い込めば賞金額を積み上げる事が可能となりますが、ジャンボ尾崎選手以外に現在までに、1年間の獲得賞金額が2億越えの選手は、2001年に5勝した伊澤利光選手、2013年に4勝した松山英樹選手、2016年に3勝した池田勇太選手の3選手しかいません。

日本国内の男子ツアーの賞金王が稼ぐ金額としては、2億円が限界となり、アメリカのPGAツアーとは大きく差をつけられる事になってしまいました。プロゴルフツアーは観客とスポンサーによって成り立っていますので、ツアーの盛り上がりを考えれば、スター選手の有無が大きく左右します。

1970年代~1990年代はPart1で見たように、A・O・Nとジャンボ軍団の活躍でテレビを賑わせ、今では低迷している視聴率も過去には信じられない数字を記録しています。

国内男子ゴルフツアーで一番の高視聴率を稼いだのは、1981年のゴルフ日本シリーズ最終日に記録した18.3パーセントで、この試合を制したのが羽川豊選手。

同じく日本シリーズの最終日に17.8パーセントを記録したのが1983年で、優勝したのが青木功選手でした。しかし、2000年以降には視聴率も下がり、2006年には5パーセントまで落ち込み、国内女子ツアーの視聴率を下回る結果になりました。

視聴率が低迷する時代に賞金王となっている選手が、ジャンボ尾崎選手の衰退とともに頭角を現してきた片山晋呉選手です。2000年に初の賞金王になると、2009年までの10年間で2004年から2006年の3連続を含め5回賞金王に輝いています。

他の年は、伊澤利光選手が2001、2003年、谷口徹選手が2002、2007年を制し、2007年に高校生でプロツアー初勝利を挙げた石川遼選手がプロ転向2年後の2009年に4勝して賞金王になっています。

視聴率が低迷する中、国内男子ツアーの救世主として突如、全国区となって人気を博したのが、石川遼選手です。日本人男子の選手では初めて、多くの女性に支持されたことでトーナメント会場には追っかけが現れ、石川選手がプロ入りした2008年には視聴率が6.9パーセントまで復活しました。

ゴルフのトーナメントプロのイメージを覆した石川遼選手は、テレビコマーシャルに出演するなどでその活躍を注目する人が多く、最終日に必ず赤いズボンを穿いてプレーしていた姿が印象的でした。

2009年の東海クラッシック最終日では、平均視聴率が14.6パーセントを記録し、その年の日本オープンではプロ入り後初のプレーオフで、視聴率は歴代5位の16.1パーセントを記録しました。

1桁台で低迷していた国内男子ツアーを、1人の選手が盛り上げた事は記憶に新しいですが、石川選手も日本国内に留まることなく、アメリカPGAツアーに挑戦することを選択し、この現象も時が立つにつれて薄れていきました。

プロゴルフツアーだけでなく俱楽部競技などの中止相次ぐ|フジ天城コラム

日本国内男子ツアーの衰退とアメリカPGAツアーの活況

一方でアメリカPGAツアーの賞金額を上げたのは、周知の事実であるタイガー・ウッズ選手です。

アメリカPGAツアーの賞金王が稼いだ賞金獲得額を、その時代の為替で円換算した場合と日本男子ツアー賞金王の賞金獲得額を比較してみましょう。

日本とアメリカの経済的背景も関係してきますので、まずは日本とアメリカが経済的にも転換期を迎えた1985年前後で分析してみましょう。第2次石油ショックがあった1980年前後からアメリカ経済の落ち込みは顕著となり、1980年のアメリカの実質GDP成長率は-0.2パーセントとなっています。

失業率も7.1パーセントと高く、1982年には失業率が9.7パーセントまで上がっています。高い失業率と高インフレで、財政赤字と貿易赤字に苦しむアメリカと、同時期の日本は円安で輸出が急伸し輸出産業を中心に好景気となっており、プラザ合意があった1985年まではドル高円安で、1982年には最高値が270円を超えるほどのドル高円安でした。

1982年の国内男子ツアー賞金王が中嶋常幸選手で獲得賞金額が約6532万円で、アメリカPGAツアーの賞金王がクレッグ・スタドラー選手で獲得賞金額が約446,000ドル、250円で円換算すると約1億1150万円になります。1985年のプラザ合意によりドル安となり、ドルに対する日本円は急速に円高に進み、1年後には100円の円高となりました。

1985年のアメリカPGAツアーと日本国内男子ツアーの賞金王が稼いだ賞金総額を比べてみますと、1億160万円の中嶋プロに対してアメリカの賞金王カーチス・ストレンジ選手が542,321ドルで、当時の為替レート1ドル200円換算ですと1億846万円となり、日本ツアーとアメリカツアーの賞金王が手にした金額には大差ありません。

では、10年後の1995年はどうでしょうか?!1995年はプラザ合意以降円高に振れたドル円の為替は、史上最高値となる1ドル79円75銭をつけた年です。

1995年のPGAツアー賞金王はオーストラリアのグレッグ・ノーマン選手。獲得賞金額が約1,655,000ドル、1ドル85円換算で約1億700万円になります。国内男子ツアーの賞金王は、ジャンボ尾崎選手で約1億9200万円となり国内男子ツアーが上となります。

勝利数はノーマン選手が3勝、ジャンボ尾崎選手が5勝です。1998年のPGAツアー賞金王がデビッド・デュバル選手で獲得賞金額が2,591,000ドルとなりました。

ドル円は1995年に円が最高値をつけてからは反転し、1997年のアジア通貨危機で1998年には150円近くまで円安が進みました。デュバル選手の賞金額をその年の中央値である125円換算で、3億円を突破します。

1998年日本男子ツアー賞金王はジャンボ尾崎選手が最後の賞金王となった年で、獲得賞金が1億7900万円ですから、ここで為替変動を考慮したとしても倍近い額の差がついたことになります。勝利数はデュバル選手が4勝、ジャンボ尾崎選手が3勝となります。

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低迷する日本国内男子ツアーと加速するアメリカPGAツアー

日米の賞金額及び賞金王が獲得する賞金額の差が加速し始めたのが、1997年でタイガー・ウッズ選手が初の賞金王を手にした以降から始まり、1999年、2000年には顕著となります。

タイガー選手の1人勝ちとも言える年ではあるのですが、1999年にタイガー選手が手にした獲得賞金額は6,616,000ドルにのぼり、110円換算で7億円を突破します。勝利数は8勝で2000年は9勝を挙げて、獲得賞金額9,188,000ドルとなり110円換算で約10億円ですからなんとも凄すぎます。

国内男子ツアーの1999年賞金王が尾崎直道選手で年間3勝、獲得賞金が約1億3700万円、2000年が片山晋呉選手で年間5勝の獲得賞金約1億7700万円となっています。

国内男子ツアーの賞金王が獲得する賞金額が1億から2億で推移していますが、アメリカのPGAツアーの賞金王の獲得賞金が10ミリオンを超えたのが、2004年のビジェイ・シン選手で年間勝利数が9勝です。

更にアメリカPGAツアーでは、2007年からフェデックス・エクスプレスがスポンサーとなり、年間王者を決めるポイント制のフェデックスカップが導入され、賞金王ではなく生き残りを賭けたプレーオフによる年間王者決定戦へと移行しました。

レギュラーシーズンとプレーオフシリーズに分けられ、今までのように賞金額ではなく獲得ポイントによって順位が決められ、レギュラーシーズンの最終戦である8月のウィンダム選手権までのポイント上位125位までの選手が、プレーオフシリーズに進出できます。

プレーオフ最終戦では30名まで絞られ年間王者を決めるわけですが、2007年に始まったプレーオフシリーズは幾度と変更し、2018-2019年シーズンからファーマットが大きく変更となっています。

2018-2019シーズンからはシリーズ4試合で行われていたのが3試合に、年間王者へのボーナスが10ミリオンから15ミリオンへ変更となったのが大きな変更点です。それに合わせプレーオフシリーズでの賞金総額も変わっています。と言いますか更に増額しています。

プレーオフの試合で用意される賞金とは別に、最終戦で30名の選手に分配されるフェデックスカップ賞金が今までの3500万ドルから6000万ドルへ増額されました。

また、レギュラーシーズンでフェデックスポイント上位10名の選手には、1000万ドルが分配されます。1位の選手で200万ドルですから、約2億円となり日本国内男子ツアーの選手が、年間戦って賞金王となる金額より多いことになります。

最終戦以外の2試合の賞金総額も両試合ともに950万ドルと破格で、第1戦で参加できる選手は125名、第2戦は70名の選手しか出場する事が出来ません。年間で30億程の賞金総額での日本国内男子ツアーですからその差は歴然です。

1985年のアメリカPGAツアーと日本男子国内ツアーの試合数と賞金総額を比較すると、日本男子国内ツアーの試合数が40試合で賞金総額が17億5300万円となり、アメリカPGAツアーが46試合で賞金総額が2321万ドルですから、日本円換算で50億を超えます。

賞金王が手にする額は、日米で変わりませんでしたが、トーナメントの規模ではその当時から大きな差がありました。アメリカPGAツアーもタイガー・ウッズ選手がプロ入りするまでの数年間は、ヨーロッパ勢などに押されていました。

その筆頭選手がグレッグ・ノーマン選手ですが、ノーマン選手は1990年と1995年にアメリカPGAツアーの賞金王になっています。1985年と1995年のPGAツアー試合数は46試合ほどで10年前と変わりません。

1試合あたりの賞金額を見てみますと、1985年の1試合の賞金額は30万ドルから50万ドルの試合が殆どで、マスターズで約70万ドル、USオープンで65万ドル、PGAチャンピオンシップで70万ドルとなっている中、95万ドルと破格なトーナメントがパナソニックラスベガス招待で日本企業が冠スポンサーとなっています。

1995年には1試合の賞金額が殆どの試合で100万ドル以上となり、3つのメジャー大会は200万ドル以上となりました。1985年に日本企業がアメリカPGAツアーの冠スポンサーとなっている試合は、7試合ありましたが、1995年には4試合まで減り、現在は3試合となっています。1985年から開催しているトーナメントはホンダクラッシックだけで、1982年からホンダが冠スポンサーになっています。

2019-2020シーズンから新たにPGAツアーの仲間入りをしたZOZOチャンピオンシップは6年間の契約、おそらく契約延期はないと思われますが、日本経済が今より良くなりアメリカPGAツアーの冠スポンサーとなる企業が現れますでしょうか?!

今年に入って又、新型コロナウィルスの脅威が増してきていますが、アメリカでは既に新たなシーズンが始まっています。昨季のメジャー開催は変則的となりましたが、今年のマスターズは例年通り4月開催で、会場入りできるパトロンを制限する予定となっています。

果たして、日本国内男子ツアーは予定通り、東建ホームメイトカップから開催できるでしょうか?!

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