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ゴルフ漫画に出てくる実在のゴルフ場と名シーンを紹介Part1

ゴルフを題材にした漫画は、野球やサッカーに比べ多くないですが、非現実的な漫画と、リアルな現実を描いた漫画があります。

とても実際に出来そうにないショットが出たり、実在しないとんでもないゴルフ場が出てきたりしますが、それでも引き込まれる魅了があったりします。
それとは逆に実在するゴルフ場が出てきたり、実在するプロゴルファーやモデルになっていると思われる人物が出てくると面白みが増してきます。

ゴルフ漫画は、原作者がゴルフについてどこまで詳しいかによってストーリーや題材も変わってきます。
今回は、非現実的なゴルフ漫画と、ある程度現実にありそうなゴルファーなら誰でも?!知っている作品を取り上げました。

現実離れしたゴルフ漫画と言えば…

プロゴルファー猿|週間少年サンデー1974年~1978年

ゴルフ漫画の連載で1番歴史があるのが、週間少年サンデーで1974年から連載が始まったプロゴルファー猿です。

ある意味、1番有名なゴルフ漫画かもしれませんが、原作者は藤子不二雄Ⓐ氏で主人公のプロゴルファー猿の使用するクラブは自作の木製ドライバー。
漫画の内容は、賭けゴルフを生業とする猿谷猿丸が自称プロゴルファーとして裏ゴルフの世界でライバルたちと勝負をする物語。

多くの必殺技があり、非現実的なものが多いが、旗つつみ岩返しなどもしかしたら出来るかも?!といった技もあり、ゴルフ場の研修生などは挑戦したことがあるのではないでしょうか。

漫画の中に登場するゴルフ場は数多くありますが、プロゴルファー猿が自分で造ったのが猿谷ゴルフ場で、大金井カントリークラブなど実在のゴルフ場名に似せた名前のゴルフ場が登場します。

存在するゴルフ場として登場するのは、マスターズトーナメントが開催されるオーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブで、影のプロゴルファー組織のボスであるミスターXに、マスターズ観戦として猿が連れて行ってもらっています。
マスターズトーナメント開催期間中の練習日に猿は、16番ホールでセベに賞金を賭けてパッテインング対決をする、と言うありえない話も出てきます。

連載漫画の名シーンと言えば、主人公とメインの脇役の登場シーンではないでしょうか。
猿の登場は「ワイは猿や!プロゴルファー猿や!」と名台詞と共に荒波の岩場で半ズボン半袖姿で主題歌『夢を勝ちとろう』(作詞:藤子不二雄Ⓐ)をバックに現れます。
そして、猿と何度も勝負するおっちゃんとの最初の勝負で旗つつみが炸裂!読者を唖然とさせる名シーンです。

プロゴルファー猿の最終回は、猿がプロテストを受け、晴れてプロゴルファーになりましたが、最後の決め技はやはり旗つつみでした。

【世界ゴルフ場ランキング】トップ100コースが発表(2020年~2021年版)|フジ天城コラム

ロングセラーゴルフ漫画と言えば

あした天気になあれ|週刊少年マガジン 1981年~1991年

ゴルフ漫画で一番のロングセラーとなっているのが、【あした天気になあれ】です。
プロゴルファー猿のような非現実の世界ではなく、苦労人の主人公がゴルフとその仲間たちと共に成長していく物語です。

1981年に週刊少年マガジンにて連載が始まり、10年以上にわたり続きました。
原作者は、あしたのジョーなどを手掛けたちばてつやで、独特なタッチはゴルフ漫画でも生かされました。

プロゴルファーを目指す、中学生の向太陽が主人公で、母親が経営する食堂のあずまやを手伝い、ゴルフ練習場で働きながらプロテストを目指します。
あした天気になあれ世代なら聞いたことがある、「チャー・シュー・メン」の掛け声は当時流行しました。

ゴルフプレーに関しては少し現実離れした場面が出てきますが、大筋はプロテスト合格から全英オープンに出場、帝王二クラウスとセント・アンドリュースで最終日に死闘を繰り広げます。
セント・アンドリュースというゴルファーの憧れの地での激闘は、1980年のU.Sオープンでの名勝負、青木功プロと帝王にクラウスのバルタスロールGCで繰り広げられた闘いとリンクします。

主人公向太陽のホームコースである河川敷のコースモデルは、現在の新東京都民ゴルフ場と思われますが、東京都民ゴルフ場の開場は1955年で河川敷ゴルフ場発祥の地と言われます。

プロテスト会場として紹介されているのが、栃木県にある千成ゴルフクラブでプロテストを長年行ってきた実在ゴルフ場で、向太陽が史上最年少でプロテストを合格しました。

全英オープンを日本人として初制覇した向太陽は、その後ゴルフ界から姿を消してしまいます。

新 あした天気になあれ|ALBA 2018年~

そして、46歳になった向太陽は、ゴルフ雑誌ALBAで復活します。
2018年~連載が始まる『新あした天気になあれ』では、46歳の向太陽がマスターズ出場を目指す物語となっています。

あした天気になあれの作者ちばてつや氏の弟子である政岡としやが作画を担当し、ちばてつや氏の絵柄を継承していますので前作との違和感も少ないでしょう。
全英オープンを制して忽然とゴルフ界から姿を消した向太陽は、伝説のゴルファーとなっていました。

新あした天気になあれの冒頭は、向太陽の師匠である竜谷訃報の知らせから始まります。
母トミ子が亡くなり、母親が営んでいた定食屋あずまやを継いでいた太陽は、幼なじみの白石悦子と共にあずまやを切り盛りしていました。

向太陽がゴルフ界を去った後、活躍したのがライバルである太田黒 彰でした。太田黒はアメリカに渡り、全米オープン全米プロを勝ち、賞金王まで上り詰めました。

しかし、ライバルである向太陽に勝ってないことが最大の心残り。向太陽の復帰を待つことなく腰を痛め、第1線から退くこととなります。

師匠の竜谷と生前連絡を取り合っていた太田黒は、竜谷の死をきっかけに再開し向太陽の現役復帰を懇願します。
向太陽は復帰を頑なに拒絶しますが、妻悦子から亡き母の手紙を見せられ復帰を決意します。

そして、太陽太田黒がタッグを組み復帰戦を目指します。
現実には日本人がメジャーで勝利することは夢物語となっていますが、あした天気になあれは微笑ましい人間ドラマと夢と希望がある構成が名シーンとなるでしょう。

太田黒が選んだ復帰戦は全英オープン!舞台はカーヌスティ・ゴルフリンクス
現在までに7回の全英オープン開催コースで、選手としてだけではなく、コース設計、グリーンキーパーとしての功績の大きいオールドトムモリスが設計に携わっています。

カーヌスティが舞台での全英オープンと言えば、カーヌスティの悲劇と言われる1999年大会でのジャン・ヴァン・デ・ヴェルデ選手の最終日で起きた悲劇です。

最終18番ホールを2位と3打差で迎えたティーショットを大きく曲げ隣のホールへ、6オンワンパットのトリプルボギーでプレーオフとなり、プレーオフで敗れ、まさかの大逆転を喫してしまいました。

漫画の世界では起こりえないような事が、現実の世界では起こり得ります。
ゴルフの楽しみとして、プロトーナメントで起こる奇跡やヒューマンドラマも見逃せません!

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